今日もまた炎上させるための生贄探しが行われているに違いない
終わらない炎上
もうそろそろネット上の無駄な炎上騒ぎを終わらせたいのです。
いや、私ひとりでどうにかできるものではありませんから、正しくは「終わりにしてほしい」ですね。
毎日のように生贄が発掘され、今日も誰か彼かが炎上しています。
ここ最近はDaiGo氏ですね。
彼の意見を否定するのは別にいいんですよ。
色々な意見の人がいて、意見をぶつけ合うことで新しい考え方が生まれる可能性もありますし、話題になれば多くの人が考えるきっかけになるかもしれませんしね。
でも、人格を否定するのは違うんじゃないですか。
家族を否定するのは違うんじゃないですか。
炎上騒ぎを起こした人の過去の失敗や発言を掘り起こしてくるのは違うんじゃないですか。
だって誰だって失敗するし、考えは変わるじゃないですか。
でも、それを渦中の人が説明しても言い訳にしかならないんですよ。
逃げ場はないんです。
謝罪しても意味はない
炎上騒ぎは基本的には謝罪では終焉しないんですよ。
新しい生贄が見つかるまでは収まることはないんです。
DaiGo氏が炎上するまえに炎上していたのは名古屋市の市長でした。
その前にはオリンピック関係者の方々が複数名標的になっていたました。
この辺になるともう覚えていない人も多いのではないでしょうか。
さらにその前になると小林礼奈氏のラーメン騒動や本多平直議員の同意性交発言などでしょうか。
ここまで戻ると覚えていない人がほとんどだと思います。
所詮、その程度なんですよ。
ちなみに炎上はDaiGo氏は終焉を迎えつつあり、今は宮迫博之氏に向かっているようです。
よかったですね、DaiGoさん。
次の生贄になるのは誰でしょうかね。
なぜ謝罪に意味がないのか
炎上が続くのは煽る人たちがいるからです。
これも非常にタチが悪い。
炎上関連の記事のコメントを見るとびっくりします。
一体あなたは何様なのだと。
神なのかと。
被害者なのかと。
どういった立場で物申しているのかと。
コメントを書いた本人に聞いてみたくなるようなコメントばかりです。
何を根拠にその人を否定しているのか、何のために、誰のためにその人を否定しているのかが全く伝わってこないものばかりなのです。
いや、きっとそれでいいのでしょう。
誰も正論を言いたいわけではないんです。
誰かを正したいわけでもないんです。
世の中を良くしたいわけでもないんです。
ただ、誰かを否定したいだけなのです。
だから、多くの炎上は謝罪しただけでは収まることはないのです。
ネット民を煽るネットニュース
ネット炎上が次のターゲットが見つかるまで鎮静しない理由は同じくネットにあるとも考えられます。
ネットニュースを見れば、同じような内容のニュースがいくらでも出てきますよね。
ひどいものだと記事の最後に「と〇〇が報じていた」という文言を加えただけのコピー記事もあります。
とてつもない早さで更新される各社の記事に対応するために、各社はとにかく記事を上げなければならないんです。
そうなってくれば大切なのは質ではありません。
量です。
さらに言えば簡単に大衆の気を引けるもののほうが良いわけです。
根拠も論理も乏しいほうが記事を書くのは楽ですよね。
炎上関係の記事は取材対象も限定されません。
「関係者」なら誰でもいいんです。
そこに専門的な知見は全く必要ありません。
だから炎上関連の記事は無限にアップされ続けるんです。
次の生贄が決まるまで。
批判と否定
勘違いしないでほしいのは、私は人を批判するなと言いたいわけではないんです。
間違っている行動は批判されたほうがいいと思いますよ。
だって、同じような真似をする人が減る可能性があるじゃないですか。
炎上商法といった例外もあるりますけどね。
しかし、最近の炎上は「批判」ではなく「否定」が目立つ気がするんですよね。
失敗した人に「修正」や「更生」を促すようなものではありません。
一方的な暴力なんです。
必死に謝っても「態度が悪い」と煽る。
代償としてお金を払っても「金で解決できると思っているのか」と煽る。
炎上のターゲットになった人に逃げ場はありません。
表社会から退場しても、きっと炎上を煽る人たちは満足しないのでしょう。
こちらも多くの人はもう忘れているのでしょうね。
木村花氏の件です。
私たちはまた同じことを繰り返すのでしょうか。
いつまで繰り返せば気づくのでしょうか。
それとも気づくことはないのでしょうか。
早くなりすぎた情報社会の中で
宇野常寛氏は著書『遅いインターネット』の中で以下のように語っています。
いまこの国のインターネットは、ワイドショー/Twitterのタイムラインの潮目で善悪を判断する無党派層(愚民)と、20世紀的なイデオロギーに回帰し、ときにヘイトスピーチやフェイクニュースを拡散することで精神安定を図る左右の党派層(カルト)に二分されている。
まず前者はインターネットを、まるでワイドショーのコメンテーターのように週に一度、目立ちすぎた人間や失敗した人間をあげつらい、集団で石を投げつけることで自分たちはまともな、マジョリティの側であると安心するための道具に使っている。
対して後者は答えの見えない世界の複雑性から目を背け、世界を善悪で二分することで単純化し、不安から逃れようとしている。
・・・中略・・・
そして今日のTwitterを中心に活動するインターネット言論人たちがこれらの卑しい読者たちを牽引している。
彼らは週に一度週刊誌やテレビワイドショーが生贄を定めるたびに、どれだけその生贄に対し器用に石を投げつけることができるかを競う大喜利的なゲームに参加する。
このゲームを終わらせる術はないのでしょうか。
人は失敗します。
ミスを犯します。
でも、それを成長の糧にだってできるはずです。
私たちがやるべきことは、人の失敗を正しく指摘し、是正させ、同じことを繰り返さないようにすることであり、裁くことではないはずです。
まして、二度と立ち上がれないように、跡形も残さないように燃やし尽くすことではないのではないでしょうか。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
「はてブ」するかどうかはお任せしますので、よろしければ山向晃一郎の記事をもう1本読んでいただけるととてもうれしいです。
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